O'BATA Pict. Live!

《批評》


 ベートーベンハウス演奏会

新聞批評(ドイツ・ケルン)

O'BATAの演奏は、日本の伝統的な古典音楽とも、また、20世紀独特の現代音楽とも異なる。彼の音楽は実に楽しい、そしてその楽しさは長く続く。長い曲だが、かといって長すぎもしない。彼の音楽は軽やかに流れ、リズムは聴く聴衆のためにもしっかりした構成と秩序に基づいている。この日の若き演奏家のすばらしい演奏におおいに感謝する。1994.11.26

ハンス・シャーマン

(ドイツ批評家)

ゴング、ベル、ドラム等、様々な打楽器の“城”の中で演奏するO'BATAの音楽は、ある時は緊張し、秩序正しく構成され、ある時は攻撃的なようでもある。彼の演奏する音楽には東洋の宗教的礼拝の伝統を思い起こさせるものがしばしば感じられる。しかしながら、彼の音楽への自由な発想、展開は時としてジャズ音楽すれすれの線を徘徊したり、あるいは瞑想の極限の世界を垣間みるのである。ベートーベン・ハウスで演奏された、1時間にも及ぶ彼自身の即興演奏「万物響応」においては、彼の内面 思想への熟考、瞑想が豊かに表現されていたばかりでなく、異国情緒に富む打楽器を自由自在に駆使した名人芸は聴衆を心ゆくまで楽しませてくれた。

T. ディストラー

(ニューヨーク・コンサート・レビュー)

O'BATAは、様々な音色を持つ才能に恵まれ、かつてないジャンルのソロ打楽器奏者として、聴衆を魅了せずにはおかない。(カーネギーホール 1996. 5. 27)

岩田カズヒロ

(演出家)

小幡 亨氏が観客を前に現すリズムはある種、心地良い会話である。世界中にどのくらい、異なった言語が、民族や国や地域にあるのか知らないが、小幡氏はおそらく、どこでも、誰とでも氏の創り出すリズムで地の人と会話を楽しめるのではないだろうか。例えば、日本の北から南までの地の言葉が「標準語」にはない豊かさをもつように、氏の奏でる音は、地の言葉の豊かさと温もりを感じさせる。それと同時に、その ― 言葉誕生以前 ― の言霊ともいえる響きを核にもっている気がする。ここが「世界を駆ける」ことのできる所以だろう。